2011年1月28日

リッピング違法化は議論自体が時代遅れ

著作権法の改正でアクセスコントロール違法化を盛り込むとか、それに反対するとかの議論があるようですが、私はこの議論自体がすでに時代遅れだと考えています。

反対理由の第一に、将来ハードがサポートされなくなるとコンテンツを見ることができないという事が挙げられていますが、そもそもそんな先に見ることがあるのでしょうか。

将来にわたって見たいコンテンツというのは、個人で作成した家族の写真やビデオなど、プライベートなコンテンツくらいです。こういったコンテンツはそもそもコピーコントロールとかアクセスコントロールの規制外ですから今回の議論とは関係ありません。

それ以外のコンテンツはといえば、かつてのように高いお金を払ってアルバムを購入してコレクションするなどという時代ではなく、いまや流行の曲をコーヒー一杯分程度の価格で着うたとしてダウンロードして、飽きたら消すというのが一般的です。つまりコンテンツの使い捨てです。着うたは携帯電話を機種変更すれば再生できなくなりますが、それに対して不満をいう人はそれほど多くありません。機種変更する頃には飽きてしまうからです。

CD や DVD、書籍といった物理メディアの場合にはコンテンツの使い捨てには適しませんが、今や楽曲販売は着うたにしろ iTunes ストアにしろダウンロード販売が主流です。電子書籍も急速に普及していますし、映像メディアもダウンロード販売やストリーミングによるレンタルが主流になるでしょう。

つまり、リッピングだのコピーだのという概念自体がすでに時代遅れで、これからはコンテンツを視聴したい時に一回分の料金を払って視聴するというのが主流になるでしょう。そもそもこれは音楽にしろ映画にしろ小説にしろ、長く残る名作よりも一回限りの使い捨てコンテンツを大量生産する供給側の変化です。消費者として主張すべきはアクセスコントロールだとかコピーコントロールだとかの議論の前に、長く残る名作の供給を求めるべきなのではないでしょうか。

MIAU による反対意見 http://miau.jp/1296090000.phtml

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