2009年6月10日

折り込みチラシは広告の理想型のひとつ

先日から広告のあり方についてちょっと考えていたが、新聞の折り込みチラシはある意味広告の理想型だというところで考えが止まっている。

折り込みチラシというのは新聞本紙と簡単に分離できる。もしこれが、朝の忙しい時にチラシを隅々まで読まないと一面の記事が読めないとしたら、そんな新聞を読む人はいるだろうか。テレビ欄をチェックしたいのに、その前にチラシを読まないといけないとしたら、チラシを読んでいる間に見たい番組を逃してしまうかもしれない。

でも現実にはそんなことはない。テレビ欄が見たければまずテレビ欄を、経済欄を見たければまず経済欄を見ることができるのが新聞。そして、中にはまずチラシを見たい人だっているわけで、そういう人たちは本紙そっちのけでチラシをチェックすることもできる。

必要な人が必要なだけ見ることができて、今それを必要としていない人の邪魔にならない。まさに広告の理想型だと思う。

これがテレビだったらどうだろう。例えば水戸黄門のドラマを見ているとして、格さんが印籠を取り出そうとして懐に手をやったとたんに CM が流れたらどうだろう。全国の水戸黄門ファンは怒り狂うことだろう。視聴者が見たいのは印籠を見せられて悪党が「へへ〜」となることであって、 CM ではないのだ。たとえスポンサーが一番見せたいのが CM であったとしても。

さすがに水戸黄門ではここまで露骨なことはしないが、バラエティ番組とかだとこういう露骨なことはよくある。「続きは CM の後」っていうアレね。あれをやるからテレビを嫌う人が増えたんだと思う。特に web ならプロセスを飛ばしていきなり結果だけを得ることだってできるのに、一番いいところで流れを中断されるなど、我慢ならないというのが現代人の気質じゃないかな。

しかし新聞というのはよくできたメディアだと思う。一面には重要記事、それから政治、経済、社会、地方版の順に続いて、裏返したところにテレビ欄。全国の主要紙はどれも同じレイアウト。だから誰でも迷うことなく必要な情報にたどり着くことができる。

すでに新聞は終わったとか馬鹿にしている人たちは、新聞が長い間かけて培ってきた様式美を超えることができたのだろうか。私はそうは思わない。まだ新聞は終わっていない。

だからといって私は新聞を擁護するつもりなどない。他のメディアが、新聞の様式美を超えて、それ以上のものを手に入れた時、その時こそ新聞の時代は終わると思う。

話を折り込みチラシに戻すと、テレビでは広告はどうするべきか。やはりかつてのように番組の前と後にまとめて CM を流すべきではなかろうか。途中に一度くらい中断があるのはいいが、クライマックスの直前ではなく、もう少し前の方がいいだろう。そしてもうひとつ、もっと必要とされる CM を流すべき。

新聞の折り込みチラシがあれほど簡単に本紙と分離することができて、必要なければほとんど目に触れることもなく処分することだってできるのに、あのような広告形態が成り立っているというのはチラシを必要としている人が少なからずいるから。テレビの CM も同じくらい人々から必要とされれば、誰も嫌ったりはしないことだろう。

そして web の広告はどうだろう。ポータルサイトの広告とか、検索連動広告とかは比較的型ができつつあるのでわかりやすい。問題は記事なのか広告なのかわからないようなものだろうね。折り込みチラシという広告の理想型を、他のメディアにどう取り込むか。私は広告業界の人間ではないのでそれを実行する立場にはないが、広告を目にする立場としてはいち早くそれを実現してほしい。

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